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養基同窓会からのお知らせと新着情報

開校記念行事が行われました。
2021-04-30
令和3年4月23日金曜日、開校記念行事が行われました。
今年は、吉野ヶ里歴史公園ウォーキングです。
 
出発前の教頭先生のお話を紹介いたします。
 


三養基高等学校グラウンドにて
教頭 伊東英毅(高33回卒)
 
 本校は、1920年、大正9年に開校し、102年目を迎えます。
2・3年生は、記憶に新しいと思いますが、昨年度創立100周年記念式典を行いました。自分も高校33回の卒業生として、感慨深いものがありました。

 開校記念ということで、開校からの歴史は先程話した記念式典で2・3年生はリーフレットが配られその中に本校の沿革が載っていました。1年生は学年主任からより詳しい歴史を聞くことになるので、ここでは三養基高校の立っている場所の歴史と今日のウォーキングとの関係について話をします。
 
 以前は、開校記念登山と言うことで学校から北へ綾部神社を通り抜け、その先の白坂公園から、九千部山へ全て歩いて登っていました。自分も高校生の頃にそうやって登っています。
 
 さて歴史についてですが、ここは小高い台地の上と言うこともあり、「一反原遺跡(いったんばるいせき)」という弥生時代や奈良時代の遺跡の上に立っています。
 また本校がここに開校できたのは、地元の有志の方からの土地などの寄付によって開校しています。そういった土地なので、このグランドは10年近く前までは細かく番地が分かれていました。その頃の地図を見ると細い道が通っています。その道は実は一直線に神埼の日の隈山に伸びています。なぜ日の隈山かというと日の隈山は、奈良時代に壱岐対馬から太宰府への通信手段として「のろし」があげていた所です。そこに向けた道がこのグランドには通っていました。
 
 学校の東には寒水川が流れていますが、野球グランドの南東にある橋の名前は「六の坪橋」といいます。その「六の坪」というのは昔の条里制の中に基本単位として「坪」というのがあった、その名残が橋の名前になっています。

 さて、今日吉野ケ里歴史公園にウォーキングするわけですが、そこには本校の今話した歴史があって、ひょっとしたら導かれて歴史公園へ向かうことになったのかもしれません。ある意味タイムトラベルなのかもしれません。君たちはタイムマシーンに乗る事になるでしょう。自分の足というタイムマシーンに。それでは頑張って歩いて、併せて歴史も感じてきてください。

 ついでに、今日出発するために通る校門は本校2代目の校門です。いつも通っている校門が4代目です。さて3代目の校門はどこにあるのでしょうか。校内のどこかにあります。
 
 以上で教頭の話を終わります。
 
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