本文へ移動

事務局ブログ

寄稿文のご紹介✨~「ミスター聖火」と呼ばれた先輩

2020-02-07
寄稿者:西原 哲彦(高18回卒)
「ミスター聖火」と呼ばれた先輩
 
 いよいよ東京オリンピックも間近となりましたが、1964年の東京オリンピックに深くかかわられた先輩がおられたことを最近知りましたのでご紹介いたします。
 お名前は 中島 茂さん です。1914年神埼でお生まれになり、中学第10回昭和8年に卒業され東京高等師範に進まれました。その後佐賀高校で教鞭をとられ佐賀県体育保険課長に就任、1950年文部省に入られております。
 1958年第3回アジア競技大会東京開催にあたり、聖火派遣団員、トーチ・リレー委員、式典部の聖火係を担当され「聖火」とのかかわりが始まったようです。
 1959年西ドイツで開かれた第55回IOC総会にて、1964年の東京開催が決定、
同時に聖火リレープロジェクトがスタートしました。
 1960年ローマ五輪のための聖火がギリシャのオリンピアで採火された際の式典を視察、ローマ大会の開会式にも出席し東京大会に向けた構想を練られたものと思います。
 1964年ギリシャから聖火を運ぶ“聖火空輸作戦”の責任者に中島さんが指名されました。1964年8月22日アテネを出発、主な経由地はベイルート(レバノン)-ニューデリー(インド)-バンコク(タイ)-マニラ-香港-台湾と11カ所を中継地として9月7日に沖縄に到着しました。機種は当時最大のプロペラ機DC-6型、「シティ・オブ・トウキョウ号」で運ばれ、中島さんが随行されました。17日間の長旅となったのは、アジア初のオリンピックを共に喜んでもらおうと各都市を回ったこともあるようですが、プロペラ機の航続距離にもその理由のひとつがあったようです。
 中島さんは日本到着までの“国外区間”の担当でしたが、国内聖火の出発地までひきつづき「聖火」のそばに付き添われたとのことです。まことに中島さんの責任感の強さに「三養基の誇り」を感じます。
東京大会本番では、式典副本部長を務められ開会式・閉会式の成功に中枢的な役割を果たされました
  ちなみに今回のオリンピック聖火は3月19日アテネを出発、3月20日に宮城県航空自衛隊松島基地に到着する予定となっています。航空機の発展に隔世の感を覚えます。
 2020年大会のトーチのデザインは佐賀県出身の世界的なデザイナー吉岡徳仁氏が手掛けられたことはご承知のとおりですが、佐賀県と聖火の結びつきのご縁を感じます。心よりオリンピック・パラリンピック東京大会の成功をお祈りいたします。
 
 
 追録 中島茂さんは1932年(昭和7年)、三養基中学が1600リレーで日本新記録(3分22秒4)で全国制覇したときのアンカーでもあります。詳しくは養基同窓会ホームページ(2018.06.01付) 「三養基中学全国制覇のこと」をご覧ください。
 
投稿者:西原哲彦(高18回卒)
写真:香港から那覇へ空輸中の機内 聖火を見守る中島茂さん
養基同窓会事務局
〒849-0101
佐賀県三養基郡みやき町大字原古賀300-1 佐賀県立三養基高等学校内
TEL.0942-94-2345(代)
FAX.0942-81-8001
 
三養基高等学校は2020年に  百周年を迎えました。
 
 
 
TOPへ戻る