本文へ移動
養基同窓会事務局
〒849-0101
佐賀県三養基郡みやき町大字原古賀300-1 佐賀県立三養基高等学校内
TEL.0942-94-2345(代)
FAX.0942-81-8001
 
三養基高等学校は2020年に  百周年を迎えました。
 
 
 

事務局ブログ

初代校長 前波仲尾 ~この地で行われた教育実験

2019-02-01
この地で行われた教育実験本えんぴつ
 
 
三養基高校100年の歴史の中で最も語り継がれてきた人物といえば、「前波仲尾」先生ではないでしょうか。
 
大正9年、佐賀県立三養基中学が新設されました。 (三養基中学誕生については→こちら色とりどりのきらきら
初代校長に就任したのが前波仲尾先生です。
 
前波校長は偉大なる教育の先覚者であり、博学多彩、独学で英独仏語をマスターし、国漢、英語、数学、地理、歴史等の中等教員免許をお持ちでした。
そしてこの新設三養基中学に全国から秀才教師を招いて、夢のようなユニークな新教育を、大胆に実施し、多くの優秀な人材を生みだしたのです。
 
その教育内容はというと、検定教科書は一切使わず、生徒の身近にあるものについて観察、実験、実地調査を主にした各教師自主編集によるプリントや新聞教材など目新しい教材ばかり使用しての授業でした。
日本の英語教育に発音記号を取り入れ、数学界にグラフや綜合数学を取り入れたのも前波校長が初めてです。
また平均点主義に真っ向から反対で、「人間は何か一つできれば結構ではないか。」という考えに徹していました。
 
生徒募集に関しても、優秀な生徒を探し出し、小学校を5年終了(飛び級きらきら)で優先入学させ特殊才能児には不得意学科を免除しました。
こうした取り組みによりヨーロッパアカデミー会員の画家も出ています。
(画家宮地亨氏については→こちらきらきら
また国際教育にも目を向けられ、「将来は海外にも出かける子だから」と、寄宿舎では茶碗や箸を廃して、洋皿とフォークを使用させました。
 
全国から呼び寄せられた秀才教師達は、のちに満州国政府の教科書編纂主任、名大教授、灘高2代目校長、考古学者などさまざまな分野でご活躍なさっています。
 
しかし残念ながら前波校長が行った「大胆不敵な教育実験」はあまり世に知られていません。
100年前にこの地で行われた教育をもう一度見直し、未来を見据えたユニークな教育が伝統として受け継がれていく事を願います。
 
在任わずか1年半という短い期間でしたが、前波校長の植えたユリノキは、現在もしっかりと根付き、毎年綺麗な花を咲かせていますイチリンソウ
 
 
 
参考文献「養基40周年記念号」「養基70周年記念号」
 
ゆりのき
TOPへ戻る