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事務局ブログ

三養基が育てた宮地画伯✨

2018-03-02
 三養基が育てた宮地画伯
 顕彰できる機会を
 
 佐賀市内に毎月、1日だけオープンする美術館があります。「宮地亨美術館」。
  
宮地亨画伯(旧中5回卒)は明治42年福岡県八幡市(現北九州市)に生まれ、神埼で育ちました。5歳の時に、和室襖(ふすま)4枚1組にした、200号大の水彩画「竜虎図」を一気に完成させ、両親他の人々を驚かせたそうです。こうした絵の才能に注目した旧制三養基中学初代校長の前波仲尾氏が、小学校を5年終了で入学させ、「自分を生かした絵を描く事に専念しなさい」と激励。そんな後押しもあって、東京美術大学(現東京芸術大学)西洋画科へ優秀な成績で合格しました。同級生には世界的な画家・藤田嗣治氏、鬼才岡本太郎氏らがいます。
 
帝展初入選、再入選、日展特選と活躍したのち、67歳でフランス国際展ル・サロンへ初出品しました。その作品は、見事金賞を受賞。初出品での金賞受賞は、100年以上の歴史を持つ同サロン始まって以来の快挙だったそうです。作品は世界最高の殿堂パリ国立美術館グランパレ(大宮殿)に毎年秋の国際展サロン・ドトンヌに陳列されました。その後も、フランスのパリから出品依頼らしい手紙が何通も届いていたが、フランス語が読めない宮地氏は、すべて破棄していたそうです。平成9年、88歳で亡くなられましたが、もし、手紙が読めていたならば…。と悔やまれるところです。
 
ほかにも、総理大臣を務めた鈴木善幸氏、福田赳夫氏、中曽根康弘氏の肖像の依頼も受けて描かれたそうです。今でも国会に残っているのでしょうか…。想いは尽きません。
 
私も約2年前、この美術館を訪れました。館長の金子正彦さんは、宮地亨氏の小城高校美術科教諭時の教え子だそうで、「先生の絵を観たら、普通の美術館じゃ物足りなくなるよ」とおっしゃっていました。
 
そんな金子さんの夢は、美術館の来場者を増やすこと。そして、フランスの美術館に先生の絵を持って行き、「覚えていますか?と尋ねてみたい」こと。そのために、フランス語を学んでいらっしゃるそうです。

 
宮地画伯を育てた三養基高校でも、何か顕彰できる機会があったら素敵ですね。


 
 
 
 
 
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